「イノセンス」(押井守監督)



 本当は、前作の「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」を観てからにしようかなと思ったのですが、まあ、ぶっちゃけ、バトーを早く見たかったもので(笑)。押井監督の作品に触れるのは、「アヴァロン」で安らかな睡眠を頂いて以来です。大丈夫かなと思いつつ、やはり攻殻機動隊ということで眠らずにすみました。それどころか、とてもわたしのある種のツボを刺激する映画でした。
 圧倒的な映像と音の演出については語るまでも無いですが、個人的にはCGとセルアニメの部分の乖離バランスがぎりぎりな印象がありました。いやしかし、絵に関しては見て損はないです。ベルメールの人形が好きなひとには本当におすすめ。いえ、むしろ、好きなひとは人形の扱いを腹立たしく思うかな。そこらへん『人形』をどう捉えているかによって感じかたが違ってくるような気もします。わたしには人形を愛好する趣味がないので、ただそれは「ヒトガタ」に過ぎないのですが、もっと違う愛しかたをしているひともいるでしょう。
 まあ、わたしにとっては、この映画は押井監督の作品というよりもさきに「攻殻」なので、前作で「人形つかい」と融合し、ネットの海に漂う意識だけの存在となった素子とバトーの関係のほうが気になるわけです。ただなあ…。この映画はとっても「攻殻」だと思います。それも原作版「攻殻機動隊(2巻)」の世界観。それが、陰鬱で圧倒的な未来世界の描写のなかを漂うバトーの裏にぴったりと張り付いているようです。素子はそこからたまゆらに浮かび上がってくる幻のようなグレートマザーとしてしか存在せず、バトーもまた、素子をそのような存在として愛している(もしあれが愛と呼ばれるものならば、ですが)。そのかかわりは、かれらが生き生きと動き、感情を露にして共に戦っていた「SAC」を愛するものからすれば、当然の帰結だとしても、寂しいものだと思わずにはいられない(単なる時系列上でも「SAC」と映画版がそのまま繋がっているとは思いませんが…パラレルなんだよね?)。しかし、「人形つかい」との融合を選ばない素子などありえないこともまた分かる。そういう素子に、できる限りのやりかたでバトーは惹かれた。「守護天使」という呼び方に、そんなバトーの誇りと、想いが込められていると感じます。天使は肉体を持たないゆえ、人間ではない。そしてこのバトーにはそんなことは問題ではない。バトーは人間である素子に惹かれたのではなく、ただ「素子」に惹かれたのだから。
 全篇を通して、生きていないものの息遣いが満ちているような世界です。北端は黄泉の世界のようだし、キムの館が立っている舞台は、わたしにクライヴ・パーカーが描くところの地獄を連想させた。生きていないものが魂を得ているかのように蠢いている、自らの感覚や記憶も定かではない世界。そのなかで、バトーを慕うバセットハウンドの愛らしさや、家族持ちであるトグサの当たり前の感覚が、わずかに生を感じさせる。
 その世界を作り出しているだけでも、この映画は観る価値があると思うわけです。はい。

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