「デビルマン」(監督・那須博之)



 WWEファンの皆様は特番に向けてのSDやRAWの感想を熱く語り、臣民の皆様は東京公演も終わり大阪、名古屋へと快進撃を続けるアラスタに胸をときめかせ、NOIZ隊員の皆様は、「世界コスプレサミット」の審査員になったNOIZに心を躍らせているであろう今日このごろ、なぜわたしはこの映画の感想を書こうとしているのでしょうか。自問自答。答えは、その、見ちゃったからね。というわけで、DVDを見ました。
 いつぞやの名古屋で、真夜さん宅にて予告編を見て「おまえをころすー」の台詞を聞いて唖然とした思い出がありました。まあ、この映画に関しては、本当に一目瞭然でアレな評価しかなかったわけで、それをしっていながら、ついついDVDをレンタルしてしまった理由はといえば「デビルマンが好きだから」としか云えません。あと、他にも予告で見たCG画面のデビルマンやシレーヌは、さすが寺田克也デザインだけあって、美しかったのです。まあ、それだけ見れたらいいやと思っていたわけですが、甘かった
 いやね、これだけネットで悪評が流れているわけだから、わたしも水に落ちた犬を叩くようなことはしたくないわけですよ。つまらない、ただそれだけなら、正直言って感想書かない(「キャシャーン」の感想を書かなかったのは、そこだ。あまりにもこちらの琴線に響かなさすぎて、言葉が無かった)。でもね、これね、「デビルマン」なんですよ。こんなもん「デビルマン」じゃないわ、という気持ちがあるのは分かりつつ、明と了と美樹ちゃんがいて、シレーヌもジンメンも出てくるんですよ。哀しいことにパクリでもない。これは正真正銘に「デビルマン」であるわけです。これが。この映画が。うえあああうう←明の叫び声。
 とりあえず、始まって10分くらいで、わあなんかVシネマみたいだなあと思ったのですが、富永愛のシレーヌが不恰好な白のレオタード姿で現れるに至って「新春かくし芸大会」という文字が頭に浮かびました。(どうせ有名人にシレーヌやらせるんなら、叶恭子姐さまが良かったと思うんですが。あのひとならフェイクでもおむねをばいーんと出してくれたのでは)。
 そんな感じで、画面のチープさと話の整合性の無さと設定の無茶さをいちいち拾ってたらキリがないんですが(そこらへんを含めてこの映画がいかに駄目かをうまく語ってるのが山本弘氏です)、とりあえず、デーモンが弱い。なにが弱いって頭が弱い。一番偉いサタン自らが、銃持って人間を殺しに行くって。デーモンとして覚醒した少女がマシンガンと日本刀で武装するって。それ、デーモンじゃない
 評判が散々な主演俳優の二人について。動いてしゃべりさえしなければ、明と了がこの二人でも、別にかまわないのですが、映画だからな。動くからな。喋るからな。あまつさえ、叫ぶからなうえあああ。演技が出来ないとかそれ以前の問題で、出来ないならいっそ演技じゃなくて演出で見せるしかないレベルのひとたちだと思うのです。なのになぜ演出すら放棄する。恋人が生首になったのを見て「うえああ」「うおえええ」「うあうおう」という正直表記不可能な音声を三段階で上げるっていうのはなにか、流行らせたいのか。
 唯一の救いかなと思っていたCG場面も、あっというまに終わるうえに、ずっと見てると、PS2のゲーム画面と変わりがない。しかも主役の声の吹き替えで、ちょうど、スローフィルムで普通の声が再現されたときの間抜けた響きにそっくりの「うおう」「うあう」「はうう」とエフェクトがかけられた声が入るものだから、相互作用で、底抜け感が絶妙です。
 でね。ここまで書いたとおり、世の評判とそう変わりがない評価を、わたしもまたこの映画に下したわけですが、もし、わたしのオトモダチ(限定。それ以外にひとには申し訳なくて)で、この映画を見ようかどうしようかと悩んでいるひとがいたら、わたしは見るのを薦めるなあ。なぜかっていうと、ここまでの評判を知ったわたしの想像をも超えた出来だったから。映画は観ないと分からない、というのを、身を持って知った。あれです。なんでも観てから悪口は云いましょう、みたいな気分です。
 あと、なんでこうなっちゃったかなあというのをじっくり考えると面白いかもしれません。観たひとすべてが「自分ならこうするのに」を考えずにはいられない映画ともいえましょう。わたし?有名人をカメオで出さなきゃいけないなら、それ全部デーモンに使うなあ。ボブサップは、カイムでいかがでしょう。

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