「ウェストサイド物語」(ロバート・ワイズ監督)



 ニューヨークの下町を舞台に、イタリア系移民とプエルトリコ系移民のグループの対立を「ロミオとジュリエット」を下敷きにして悲劇的に描いた有名なミュージカル映画です。
 ミュージカル属性の無いわたしが、なんで見る気になったかといえば、WWEの「ロイヤルランブル」CMがこの映画のパロディだったからです(笑)。古い映画でも、音楽があれば楽しいだろうと思いましたが、実際に、流れてくる曲は、ほとんど全部、聴き覚えがある曲でした。
 1961年の映画であり、ミュージカルに馴染みがないわたしからすれば「何故踊る」「何故歌う」と思ってしまうのも仕方がないことですが、これ、舞台で見たらもっとすんなりハマれるだろうな。あと、思ってたよりもずっと社会的な映画だった。移民同士のいがみ合い、ということで(ちゃんと訳されませんが)、人種的な差別意識がハッキリしてて、作り手もそれをあえて問題視していない気がします。当時は問題になるようなことではなかったのかもしれないけれど、今の映画では意識して使われるような言葉や表現があるような。さらに、ここには出口がないんですよね。不良少年になるのは社会や家庭環境が問題だから、とかそういう理屈も「クラプキ巡査殿」というナンバーで笑い飛ばされるわけだし。大人であるドクの嘆きも、鬱屈したかれらには届かない。抗争するにも握手で始めようとするお行儀の良い時代ではあるけれど、この閉塞感と憎悪のエネルギーは、古びるものではないはず。
 メインの二人のラブストーリーは、まあ「ロミオとジュリエット」なわけで、メロドラマといえばメロもメロ、綺麗すぎるおはなしでしょうが、わたしはこれを否定したくないなあ…。非常階段で二人が「トゥナイト」を歌うシーン、あの目の輝きと熱情には圧倒されてしまった。まさに死に至るしかない恋の病に落ちたあの表情を、ダサいというのには抵抗があります。台詞でも歌詞の内容でもなく、ただ二人の顔をみれば、そこに恋の存在が燃えているような。そんなかれらだからこそ、無茶といえば無茶な展開を納得させることができるわけです。すごいよなあ…。台詞じゃないんだよ、歌でもない。ただ、発熱しているあの感じ。
 二時間以上の映画でしたが、最後の悲劇まで飽きずに見ることが出来ました。本もそうですが、やっぱり後世に残る作品というのは見ておいて損はないかもしれません。そんな当たり前のことを、また感じました。
 

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